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おくりびと Departures [映画]

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監督:滝田洋二郎
脚本:小山薫堂
出演:本木雅弘(小林大悟)、広末涼子(小林美香)、山崎努(社長)、余貴美子(事務員)、吉行和子(鶴の湯のおばちゃん、山下ツヤ子)、笹野高史(鶴の湯の常連客、平田正吉)
2008年

2009年6月13日(土)、CambieのPark Theatreに19:00からの回を家族5人で観に行く。家族5人で映画を観るというのは初めてのことで、うちの子供らも大きくなったもんだという別の感想も持つ。彼らはこの映画を観てどう思っただろうか。自分の家族と映画の中の家族を重ね合わせて観ただろうか。

全体として、最近観た映画の中では文句なしに一番のいい映画だった。冗長さや無駄なカットのないよく練られた構成だし、本木と広末の夫婦像はほほえましく自分たちを投影しながら観ることができた。山崎努は相変わらず芸達者だし、笹野高史はさすがだ。そして、生と死という永遠のテーマに正面から向き合って、前向きに終わっている。ど真ん中に、力のこもった非常にいいストレートが来た。生きている者は生きればいいのだ!いつかは必ず順番が回ってくるのだから、「また会いましょう」といって送り出せばいいのだ。

もっとも、こまかいところで気になるところがないわけではない。いずれも映画の構成の問題で、第一は美香の人物設定。終わった後の家族の会話でも、第一に集中したのが広末涼子の演技ないし扱い方で、自分の第一印象も「自分だったら広末は使わない」というものだった。最初に広末ありきだったという商業主義のにおいを感じなくもないが、しばらく経って思うのは、そもそも脚本の段階で美香の人物像が明確に描き切れていないのではないかということだ。夫を支えるけなげな妻(でもキャリアウーマン)、夫を理解できない妻、最後は理解する妻、そして夫婦の成長・・・、あれだけあいまいだと広末も咀嚼しきれなかったのではないだろうか。人間の性格を明確に言い切ることなどできないといえばそうだが、この映画の中での美香の役割がいかにも中途半端な気がした。とくに後半から終わりにかけては、広末の「どう演じたものか」という悩みみたいなものが画面からも感じられ、観ているほうも割り切れなさが残った。製作者が意図して考えさせているというよりは、製作者自体迷ってるんじゃない?という気がした。

第二はエンディング。これは第一の点以上に残念だった。死と生というテーマを扱いつつ、最後は親子になるのねと思っていたら、夫婦の話になって、ブラックアウトしたと思ったら、あれ、エンドロールが出てきちゃった・・。余韻が残る終わらせ方、後のことは観客一人ひとりにゆだねるということかもしれないが、きちんと締めていないから、結局親子だったのか夫婦だったのか?あの終わり方は夫婦だったよな、などと余計なことを考えてしまう。もっとストレートに死と向き合うということにしてもよかったのかもしれない。だが、そうすると広末の出番がなくなるし、ひねりもなくなってしまったかもしれない。それも計算ずくかとも思えるが、製作者自体苦悩の末に時間切れしょうがないということだったという説に賛成。

と、ちょっと辛口のことを書いてしまったが、個人的な好みの問題(人工的なよく練られたプロットを好む性質)もあり、いずれにせよこの映画が最近観た中では一番の秀作であることは疑いない。もう一度観てみたら上に書いた問題点についてもやられたと思うようなことが出てくるかもしれない。

昨年観た「武士の一分」がガラガラだったので、これもそうではないかと予想したが、観客は意外にも多く、しかも、ほとんどが英語を話すカナダ人と見えた。カナダ人の感想を聞きたい。

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映画 Gran Torino [映画]

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監督:クリント・イーストウッド
出演:クリント・イーストウッド(ウォルト・コワルスキー)、ビー・ヴァン(タオ・ロー)、アーニー・ハー(スー・ロー)
2008年

6月25日、出張先からバンクーバーに戻ってくる飛行機で。

クリント・イーストウッドが劇中で死ぬ映画というのは初めて観たが、また前にあったのかどうかも知らないが、そのような映画を作ること自体が、(偉そうだが)彼が扱っているテーマが人生そのものや死というものに収束してきていることを示しているのかなと思った。そして、その彼がいわばバトンタッチしようとした相手がアジア人であったことも一種の驚きだった。また、うまく説明できないのだが、カメラワークが安定していて、人間に対する優しい目が感じられた。今は思い出せないが、とても優しいいいカットがあったのだ。青木新門さんのいう「光」が見えている感じ。

字幕もなかったから会話の細かいところでわからなかったことも多々あり、特に若い神父とのやりとりがよくわからなかった。どうも神父には何かの役割を与えていたようなのだが、それがわからない。実は大事なポイントなのかもしれず、だから映画の見方が一面的になっているかもしれない。

やたらと銃を持ち出すところや、クリント・イーストウッドならではの強さだよね、とか、あのギャングがいなくなればタオとスーの平安は守れないと言ったけど他にもギャングはいるんじゃないの?といった突っ込みはできるだろうけれども、彼が問うているのは人が生きることの意味だと考えれば、そんなことは気にならない。生きるということは、まず自分が一生懸命生きることだけど、誰かにバトンタッチしていくことも大事なのだ。この映画はクリント・イーストウッドの遺言なんじゃないかと思った。いい映画に出会えてよかった。

日本語ウェブサイトのキャッチフレーズは「俺は迷っていた、人生の締めくくり方を。少年は知らなかった、人生の始め方を。」となっており、英語のサイトには見当たらないから、これは日本で考えられたのではないだろうか。(また偉そうだが)実にうまいもので、さすが日本人と思った。

映画 17 Again (セブンティーン・アゲイン) [映画]

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2009年

監督:バー・スティアーズ
出演:ザック・エフロン :(マイク)、マシュー・ペリー (マイク)、レスリー・マン(スカーレット)、アリソン・ミラー(スカーレット)、トーマス・レノン(ネッド)、ミシェル・トラクテンバーグ(マギー)、スターリング・ナイト(アレックス)、メロラ・ハーディン(ジェーン・マスターソン校長)

高校時代に子供ができちゃって結婚した37歳のさえない男が、人生絶頂とも思える17歳のころに戻り、人生をやり直す、というお話。しかし、主人公は、こうなったのは人生をやり直すためではなく、自分の子供たちを守り妻の愛を取り戻すことが目的だったのではないかと思うようになっていく。

子供ができちゃったのが20年前で、なんでその子が高校生なんだよと言いたくなるのだが、まあ、そんなことはどうでもよくて(そもそも37歳のおやじが中身そのまま肉体だけ17歳に戻るということからしてわけがわからないのだから)、おとぎ話(fairy tale)と思って見ればいい。主人公は、最初人生のやり直しが目的だと思うのだが、そのうち、自分がいかに夫として父親としてダメだったのかに気づく。しかし、それもあまりうまくいかず、ラスト近くで人生のやり直しのチャンスが訪れる。主人公はかつて自分がした判断と異なる決断をして、やり直そうとするのか?そこがクライマックスだ。

そして、なるほどそうか、人間の本質は年をとっても変わらないのだな、でもそれでよかったのだよなと思わせられる。結局は、昔に戻りたいとか、あのときこうしていれば・・・、なんて考える必要はまったくなくて、むしろそう考えていたことが今の人生を悪くしていたということに気づく。自分の判断については自信を持って肯定し、将来に向かって生きて行けばいいのだよ、と教えてくれているんだ。

構成やシーンの使い方が上手で、(自分としてはいらないと思うけど)おまけのサイドストーリーもついていて、いい映画だったと思う。今まで全然知らなかったけど、主演のザック・エフロンはすごい人気者だったんだ。でも、10代のスカーレット役のアリソン・ミラーはかわいらしくてよかった(最初しか出ないけど)。

映画のポスターの標語、Who says you're only young once?というのもなかなか含蓄がある。直訳すれば「若いのは一度きりと誰が言ってんだ?」だけど、若さというのは年齢のことじゃない、ということだろう。

Samuel UlmanのHow to Stay Youngという詩の冒頭に、Youth is not a time of life; it is a state of mind.という一節があることを思いだした。全文は別項に。

生れてはみたけれど [映画]

テレビで「Umarete wa mitakeredo」という映画をやっていたので、見入った。小津安二郎の「大人の見る絵本 生れてはみたけれど」という映画だった。

今の境地もあってちょっとしんみり。お母さん(吉川満子)が良かった。

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