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民主主義における政府の正当性の根拠 [備忘録]

2つの側面から見ることができる。まずは公正な選挙で国民から選ばれたものだからだということができる。また、同時に、実行する政策が正義(憲法に述べられた基本的人権の尊重に代表される)にかなっているということも必要だ。後者があれば前者はいらないのではないかという気もしないでもないが、実は前者の「自己統治」というものは、後者に含まれているといえなくもない。民主主義の世界では、実質的に正しいということと手続的に正しいということは表裏一体で、実質的に正しくても、手続的に正しくなければ、それは正しいとはいえないし、また、実質的正しさが一目瞭然ではない場合にあっては、手続的正しさは実質的正しさを推定する。一票の格差の問題はこの手続的正しさに直結するもので、非常に大事な問題だ。

さて、新聞報道によれば、亀井大臣は、国民の相当数は冷静な判断能力がなく、マスコミに扇動されると正しい議論が耳に入らなくなる、という趣旨のことをテレビで述べたそうだ。今回の報道の文脈でいえば、国民の小沢に関する判断はマスコミの扇動により冷静なものではなくなっており、正しい認識ではない、ということだろう。上記の議論でいえば、国民の声というものは正当性を推定するものに過ぎず、マスコミに扇動されているような場合には、その推定を覆してもいいのだ、と。

しかし、この議論はかなりおっかない議論だ。なぜなら、この理屈でいけば、たとえば今年の参議院選挙の結果について、「今回の選挙結果はマスコミの扇動により国民が冷静な判断を失った結果であり、正しいものではない。」ということが言うことができる。マスコミを悪者にすれば、選挙結果を認めないことだってできる。クーデターのロジックだ。
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