SSブログ

中高年、高齢者のために使う税金と、未来ある子供たちや若者のために使う税金と、どちらが大事か。 [日誌]

3月1日(火) 昼間はくもっていたが、夜になって雨。朝1.5kmほど走ってみた。ゆっくりとジョギングペースで、気持ちよく走れたので、これはまたやりたいと思う。明日の天気はどうかな。

今日も同じ。朝早く出て一駅歩いて、茶を飲んで出勤。仕事もぼちぼち。今日はさっさと帰宅。しかし、疲れたのでもう寝たい。寝る前に、冨山さんの「カイシャ維新」から若干長くなるが引用。2008年、大田博子経済財政担当大臣の下でまとめられた「構造変化と日本経済」(いわゆる新前川レポート)を下敷きにしているとのこと。

---------------------
エリート優遇がけしからんなどと言っている場合ではない。エリートに投資し、鍛え、がっちり働いてもらってその投資を回収することは、全国民の利益である。

現状、日本における教育に対する公的補助の対GDP比率は、OECD諸国の中で最低水準である。あえてリスクをとっていえば、中高年、高齢者のために使う税金と、未来ある子供たちや若者のために使う税金と、どちらが大事か。そのことを中高年世代が真剣に考えたとき、おそらく答えは自明のはずだ。本気になれば金はあるのだ。

美しいビジョンを語ること、正しい戦略を策定すること。そんなことは大して難しいことではない。裏返していえば、全ての人がとりあえず幸せになる、言い換えれば誰も強く反対しない改革は、改革ではないのだ。

会社の社長は、制度上は大きな権力を持っている。おそらく総理大臣や知事などもそうだろう。だから、傍目からは、その地位にさえつけば、自分の考えている「正しい」政策、「合理的」戦略が当然に実行できると考えがちだ。しかし、そうは問屋が卸さないのだ。
改革は必ず、痛みや犠牲者を伴うと述べたが、そこでひどい目にあう人々の場合は、なおさらいうことを聞いてくれない。「聞く耳をもってくれない」のがむしろ当たり前。

・・・国債を刷り続けるのも一つの手である。借金がふくれあがり、5年、遅くとも10年で立ち行かなくなる。最近のように政権運営がナイーブになると、「国民の皆様」の色々な声を全部真に受けて、本来は両立しない政策パッケージを全部やるはめになる。「真面目でいい人」が経営をやるとよく陥るパターンだ。社会の矛盾した複数の要請を同時に受け止めることになり、帳尻をあわせようとすると、結果的に国債を増発せざるを得ない。かつて、日本の政治運営はなかなか老練だった。おっしゃる通りといいつつ、巧みに問題を先送りしてきた。だがそれでは将来の破局はかえって大きくなり、致命的になってしまう。今のような財政運営が続けば破綻はむしろ早く来る。皮肉な話だが、内発的な力で期待されるリーダー群や中高年の品格が立ち現れない場合、こういうショックが、最後のきっかけをこの国に与えてくれるように思う。
---


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。