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楽しくやりましょう [日誌]

1月22日(金) ちょこまかと仕事をして、午後には1時間ほどのミーティングがあり、相変わらずネイティブの会話になると途端に聞き取れなくなる状態になるということが判明する。だからといってどうということではなく、自分ひとりで解決しようとすると解決できないのだが、そうではなくて他人の力を借りればそれでもなんとかなる方策があるということで、何でも自分で解決しようとしないことが肝要ではないか。チームで仕事をするということ、チームをマネージするということ、それを少しずつ覚えてきた。というか、日本にいた時は、全員日本人チームであったし、組織に属していたから、全員にチームという認識があったのだが、こちらではそのチームを作るところから始めて、チームをマネージすることから構築しなければならなかったのだ。それをあまり理解していなかったし、しようともしていなかったし、しようとしてもなかなか進まなかった。牛歩であるが進んできたことには満足している。

夕方にはある新年会(原則として日本語環境)に出席。一昨年にも出席したことがあるが、その時と比べて知っている人の数が格段に増えたということを認識。顔を出すだけで帰ろうと思ったが、楽しかったので結局長尻をしてしまった。仕事でのつながりの人、家族づきあいの人、私的勉強会の人、地域つながりの人、ひろいろあって、この資産は大事にしたい。

会話をしていたら、「いつも、『楽しくやりましょう』と言っているね」、と言われた。そうか、皆に言っていたのか。、それは自分があまり楽しんでいないから希望も含めて言っているのですよ、と自嘲的に言ってしまったがそれは事実。しかし、難行苦行だけをしていても(たまには必要かもしれないけど)、どうもいかんのではないかと思う今日この頃なのだ。特に日本を見ていると、一部の人は、苦しい、苦しい、でも頑張ろう、みたいな感じで、他の一部の人は、将来に全く希望なし、とりあえず今さえ暮らせれば、みたいなところがあって、楽しく面白く盛り上げていこう、という建設的な姿勢が、少なくともマクロ的(pretty much the same as "politically")には見えてこないので、マクロでやっている人たちがやってくれないのなら、自分から始めるしかなかろう、ということだ。

日本に一番足りないものはそれだと思っている。前向きにチャレンジすることは面白いことだ、という感覚。今の政治情勢を見ていると吐き気がしてくる。文字通り本当に吐き気がしてくるときがある。一種の心身症だろう。

今日も春みたいなほんわかした気候だった。

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