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牛のように進む [日誌]

1月25日(月) タイトル通りの一日。ゆっくりだということと、まあでも少しは進んでいると。夕方、ちょっと筋の悪そうな案件に遭遇。日本からも言ってきた。日本側の人も若干心もとないので、少々残業をしてしまい、おかげで夕方のイベントに1時間遅刻してしまった。

民主主義における政府の正当性の根拠 [備忘録]

2つの側面から見ることができる。まずは公正な選挙で国民から選ばれたものだからだということができる。また、同時に、実行する政策が正義(憲法に述べられた基本的人権の尊重に代表される)にかなっているということも必要だ。後者があれば前者はいらないのではないかという気もしないでもないが、実は前者の「自己統治」というものは、後者に含まれているといえなくもない。民主主義の世界では、実質的に正しいということと手続的に正しいということは表裏一体で、実質的に正しくても、手続的に正しくなければ、それは正しいとはいえないし、また、実質的正しさが一目瞭然ではない場合にあっては、手続的正しさは実質的正しさを推定する。一票の格差の問題はこの手続的正しさに直結するもので、非常に大事な問題だ。

さて、新聞報道によれば、亀井大臣は、国民の相当数は冷静な判断能力がなく、マスコミに扇動されると正しい議論が耳に入らなくなる、という趣旨のことをテレビで述べたそうだ。今回の報道の文脈でいえば、国民の小沢に関する判断はマスコミの扇動により冷静なものではなくなっており、正しい認識ではない、ということだろう。上記の議論でいえば、国民の声というものは正当性を推定するものに過ぎず、マスコミに扇動されているような場合には、その推定を覆してもいいのだ、と。

しかし、この議論はかなりおっかない議論だ。なぜなら、この理屈でいけば、たとえば今年の参議院選挙の結果について、「今回の選挙結果はマスコミの扇動により国民が冷静な判断を失った結果であり、正しいものではない。」ということが言うことができる。マスコミを悪者にすれば、選挙結果を認めないことだってできる。クーデターのロジックだ。

亀井氏「国民の相当数、冷静な判断能力ない」 [備忘録]

亀井氏「国民の相当数、冷静な判断能力ない」
 国民新党代表の亀井金融相は25日、衛星放送BS11の番組で、小沢民主党幹事長の資金管理団体をめぐる政治資金規正法違反事件に関して「今の国民は相当数が大脳皮質で冷静に判断する能力をお持ちでない。新聞が『けしからん』と書いたりすると、その人(小沢氏)が何を言っても耳を貸さない」と述べた。
(2010年1月26日00時48分 読売新聞)

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あれま。「(民主主義)政府の正当性はどこからくるの?」といいたくもなるが。

700m [日誌]

1月24日(日) デルタ往復、700m泳いで、長々と友人宅。途中またデルタ往復。

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