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ジョギング [日誌]

2月20日(日) 昨夜1時過ぎまで起きていたので、今朝は遅めだった。10時半からヨガ。昼1時過ぎから渋谷まで散歩。帰りはくたびれてバス。5時頃から10分のジョギング1.5km。最初は10分でいいのだそうだ。もう少しやりたいと思うぐらいでよいということ、細切れでもかまわないということ。だったら自分でもできそうだということで、これからやってみよう。目標はフルマラソン。いったいいつのことやらとも思うが、図書館で借りてきた本によると、白紙から始めても6カ月計画でいけるという。ほんとかねと思いつつ、それぐらいならリーズナブル。しかし、マシンで走るのと違い、実際に走ると計算上同じ距離でも体の疲れ方が違う。下が硬いせいもあるだろうし、マシンの場合は自動的い動いているというせいもあろう。まあ、We'll see.だ。

ヒアアフター [日誌]

2月19日(土) しばらくぶりになったな。さして書くこともなかったし、疲れたしということか。昨夜は久々に会う友人と飲む。10年ぶりだったらしい。思えばずいぶん離れてしまったものだ。あまりにも知らないのでびっくりしたよ。これが現実ということか。飛躍するようだけど、政治家にも期待できなくなったな。特に団塊の世代のみなさん。全員とはいわないが、あの世代のみなさんは全然勉強してないな。小学生のころから全然勉強してない。というか頭使ってないよな。本気で悩んできていない。上っ面だけなんだ。

今日公開の「ヒアアフター」を見てきた。これは一筋縄ではいかない、評価が分かれる映画だと思う。普通に見ようとすると失敗作という評価になるだろう。テーマが即座にはわからないからだ。見る者が補足しなければならないことが多すぎるし、エピソードや登場人物のキャラクターを使いきっていないし、普通の映画であれば最悪の中途半端なわけのわからないエンディングになっている。盛り込もうとしたことが多すぎて生かしきれませんでしたね、欲張りすぎましたね、と思えないこともない。蛇足だが、こういう映画は日本映画によくある。

こういった盛り込みすぎというのは、原作本がある映画によくあることなのだが、しかし、この映画には原作本はなさそう。だとすると、製作者はわざとこんな消化不良映画を作っているわけで、これはちょっと疑ってかかる必要がある。

鍵はあの男の子だ。男の子を中心に据えて見てみると、この話は頼りない男の子が大人への扉を開ける物語であり、ジョージやマリーは狂言回しにすぎないことがわかる。ジョージがどんな手紙を書いたかは問題ではなくて、手紙を書かされたということがポイントなのだ。ジョージの霊能力なんてどっちでもいい。だから、最後にマリーと握手をしたときには何も起こらなかった。

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あとは、チャールズ・ディケンズ。あれだけ繰り返し出てくるのだから「チャールズ・ディケンズ」が何かを暗示しているはずだが、読んだこともないし、どういうインプリケーションを持つのかわからない。よって、「チャールズ・ディケンズの大ファン」というプロットの意味がわからない。これがわかればもっと深く理解できるのだが。。。竹内康浩先生ならわかるかな。

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いずれにせよ、クリント・イーストウッドとマット・デイモンの組み合わせはいい。音楽もよくて、何も考えずに気持ち良く見られる映画だ。Don't think. Feel.という声が聞こえる感じ。これはブルース・リーか。

追加


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